日本書紀は30巻、古事記は3巻です。
本居宣長の古事記研究「古事記伝」の44巻により古事記は有名になりましたが、正史は日本書紀です。ただし、両者とも天武天皇の編纂命令より編まれたものです。
日本書紀は当時の公用語の中国語(漢文)で書かれています。
これは対外的、特に当時の世界の中心であった中国王朝に向けて、律令を整備し、正史を持ち、都の天皇を中心とした集権国家であることをアピールするための一大事業の一環であったからだと思われます。
一方古事記は万葉仮名で書かれ、識字能力があれば誰でも読める歴史書であったと思われます。
万葉仮名といっても日本語の発音を漢字の音にひとつひとつあてはめているのですから、漢字を扱える立場や能力がなければなりませんが。
日本書紀の30巻という分量と、漢文で構成されているということから、研究するには難儀な代物だったのではないでしょうか。
したがって古事記における本居宣長のようなスーパースターは日本書記には存在せず、多くの研究者の地道な研究の蓄積が書記研究の実をあげているのだと思われます。
相対性理論はアインシュタインというひとりの天才が完成させましたが、量子論はプランクやボーア、ハイゼンベルク、シュレジンガー等々の多くの研究者によって構築されているのと似ています。
日本書紀の謎を解く、とありますがいったい何が謎なのでしょうか。
①書記は誰が書いたのか?、②書記が編纂された順番は?、が最終的に明らかになっています。
この「誰が書いたのか」は、当時の朝廷の官僚(貴族)すなわち当然日本人だろうと、現在の日本の官僚組織から連想してしまいました。
しかし、考えてみれば当時は倭語(ヤマトコトバ)はあったけれど、それを的確に書き表す文字がそれまでなかったのです。
となると、明治のお雇い外国人ではないですが、大陸からの帰化人が奈良朝廷の周辺にたくさんいただろうと思うようになりました。
その人々の力を借りて近代国家の形成に邁進したと想像するに難くないのです。
著者の森氏は長年の日本書記の研究から状況証拠を固めてゆき、「書記を書いたのは○○である」とこの本の中で宣言しているのです。そして、日本書紀30巻を2種類に大別して、異なる著者による時期的に異なる編纂を明らかにしています。
気になるのは、聖徳太子の17条憲法は真作か?、大化の改新はあったのか?、という項目があることです。
著者によれば、これら2つの記事は倭習(臭)に満ちているとのこと。ここから明言は避けていますが、17条憲法は贋作、大化の改新は創作ということを匂わせています。
古(いにしえ)の文章(文献)を読み解くには、多くの人々の地道な努力と、その方々の積み上げてきた膨大な知識が必要になっています。
諸先輩の研究を足掛かりに、それを踏み越えて行くにしても、踏み台になるための確固とした研究成果が必要です。
アイザック・ニュートンの言に「私がかなたを見渡せたのだとしたら、それは巨人の肩の上に乗っていたからです。」とあるように、先人の積み重ねた発見に基づいて、はじめて何かを発見することができるのです。
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